CONCEPT

千三百年の時を経てOVER THE MILLENNIUM.

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現地周辺航空写真

平城京の外京、春日山に向かう
丘陵地を舞台に

唐の都、長安を模して造られた平城京。その左京から東に突き出たエリアは「外京」と呼ばれます。平安京へ都が移った後、春日山に向かうこの丘陵地一帯は、東大寺・興福寺の門前町として発展。現在に至っても、奈良の街は、この「外京」が賑わいの中心です。

平城京・条坊条制イメージイラスト

平城京への遷都を主導した藤原氏が開いた栄華の地

外京を拓いたのは、大化の改新の功労者・中臣鎌足(藤原鎌足)の二男の藤原不比等という人物。その絶大な権勢を誇示すべく、平城京を見晴らす丘の手の一等地に邸宅を構え、さらに、藤原氏の氏寺である「興福寺」や氏神である「春日大社」を建造しました。

出典:『藤原鎌足像』
(総合博物館所蔵)部分

興福寺の門前町として、
室町時代から続く「下三条町」

現地の町名である「下三条町」は、室町時代より町として存在し、江戸時代の古い記録には興福寺の門前郷のひとつにその名前が見られます。また、現地の北側には、「開化天皇陵」と呼ばれる豊かな緑と静寂を纏う古墳も。まさに、長い歴史を感じる立地です。

出典:『和州奈良之圖』天保15年(1844年) 国際日本文化研究センター

興福寺、春日大社へと続く
千三百年の道、三条通り

現地の南側の「三条通り」は、平城京の「三条大路」に由来。沿道には興福寺や猿沢池があり、春日大社の参道「一の鳥居前交差点」まで続きます。石畳風に舗装された歩道が広くとられ、夜には、行燈風のボラード(車止め)に光が灯り、風情を放ちます。

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古都奈良に早春を告げる
伝統行事「若草山焼き」

現地上層階からの三条通りに沿った東向きの眺望は、興福寺の五重塔や沿道の樹林が連なりながら、背後の春日山や若草山等の山並みがアイストップとなり、屏風絵のような美しさです。特に、毎年1月末、古都奈良に早春を告げる「若草山焼き」は、壮観です。

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