■外観完成予想図
現地近くの湖岸公園の一角に建つ常夜燈は、元々「石場(現在の大津警察署の裏)」に建てられたもの。琵琶湖の西岸に位置する大津市「石場」と東岸に位置する草津市「矢橋(やばせ)」との間を往来する船の目印として使われていました。その後、琵琶湖文化館の前へ、さらに現在の場所へ移築されました。銘文には発起人の名前と共に近江・大坂・京都・尾張等からの寄進者名も刻まれており、多くの人が琵琶湖水運に携わっていたことが伺えます。
「石場」は旧東海道筋で、江戸時代から対岸の「矢橋」と共に渡船場として発展。近江八景の一つにも数えられる名勝地となり、江戸時代の絵師・歌川広重も近江八景「矢橋帰帆」という作品を後世に残しています。明治以降も「石場」には馬場(現膳所)~大津(現びわ湖浜大津)間の鉄道開通時に停留所が設置され、水陸共にこの地の発展の礎となりました。
※掲載の写真は2018年8月に撮影したものです。
大津市は、古くから東海道と北国街道が交わる交通の要衝として発展。現地の位置する打出浜エリアは、1961年より開発が始まり、大規模商業施設や文化施設などの建設が進められ、現在では大津市のシンボルゾーンとして知られています。