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上前津1丁目、その歴史性と希少性
名古屋の都市形成は熱田台地の上、
本町通を中心軸に発展。
関ヶ原の戦いの後、徳川家康によって進められた名古屋城下のまちづくり。
それは、古くからの信仰の要所である熱田神宮と名古屋城を結ぶ
高台である熱田台地に沿って、城下町を形成することでした。
その中心となったのが、熱田道とも呼ばれた本町通(橘町以南は現在の伏見通)であり、
江戸時代以降、本町通を基軸として名古屋の都市形成の礎が固められていきました。
(https://www.gsi.go.jp/kankyochiri/degitalelevationmap_chubu.html)
※デジタル標高地形図を加工して作成
“美濃路” とも呼ばれ街道としても発展した本町通。
江戸時代初期に名古屋城と熱田台地を繋ぐ本町通を中心にした
碁盤割りという都市形成の方針が固められた名古屋の城下町。
時代が進むとともに、江戸と京都を繋ぐ東海道などの街道の整備も進められ、
名古屋は、東海道と中山道を繋ぐ要衝の都市として発展。
東海道の宿場であった熱田と、中山道の宿場であった岐阜を結ぶ脇街道として
発展したのが本町通であり、
当時は“美濃路”(美濃国(現在の岐阜)に通じる街道)と
呼ばれ多くの人が行き交ったとされています。
札の辻の記念碑(2026年3月撮影)
明治の頃まで名古屋の中心軸として
発展した本町通。
江戸~明治時代まで城下の中心地とされていた場所は、
伝馬町通と本町通が交わる札の辻と呼ばれていた場所にありました(現在の中区錦三丁目付近)。
政治・経済の中心地であり、旧名古屋銀行や名古屋株式取引所、
愛知県庁、名古屋市役所などが本町通の周辺に建築されていました。
商業や文化的な面でも中心であり、伊藤呉服店(後の松坂屋)をはじめ、
大丸や三越、丸栄など後のデパートや百貨店となる店が本町通に軒を構え、
江戸や大阪、京都の町の賑わいにも劣らないほどだったとされています。
市電開業を契機に都心の新たな中心軸となった
大津通。
明治43 年(1910 年)、第十回関西府県連合共進会が
名古屋で開催されたのを機に栄町周辺のインフラ整備が進行。
栄町まで大津町通の拡幅工事が行われ、
大正13 年(1924 年)には名古屋市電によって市電大津町線が開業しました。
名古屋市役所跡地にいとう呉服店が移転し名古屋初の百貨店である松坂屋が誕生しました。
その後大津通は、三越、丸栄、オリエンタル中村といった
百貨店や商業施設が軒を連ねる商業集積地として発展。
それにより大津通が都心の新たな中心軸としての役割を担うようになりました。
戦後復興から独自の進化を果たした
伏見通と大津通
太平洋戦争で多くの被害を被った名古屋。
中区では面積の50%が空襲のため焼け野原となってしまったとされています。
終戦後、その復興のために打ち出されたのが
大胆な都市計画を提唱する戦後復興土地区画整理事業です。
開府以来のまちづくりを継承し防災に強く美しい都市計画が構想され、
現在の名古屋の都市計画に繋がっています。
伏見通も50m 幅員を備える基幹道路として新たに再計画され、
本町通としての歴史を受け継ぐ新しい名古屋の中心軸となりました。
戦前の街路網
戦後の街路網
出典:「新修名古屋市史 第七巻」より
ビジネスと物流の中心軸となった伏見通
戦後復興以後、名古屋城から熱田神宮を結ぶ役割を担い、
新たに名古屋の中心軸となった伏見通。かつての江戸や明治の都市構造が復元されるかのように、
伏見通の沿いには、日本銀行や名古屋銀行などの金融機関や官公庁、
「名古屋商工会議所」「中日新聞本社」「NTT データ」「富士フイルム」通信・燃料・製造業など多くの企業が出店。
中でも伏見駅周辺は、名古屋有数のビジネスゾーンとして多くの人が行き交う街です。
(徒歩24分/約1,890m)
(徒歩22分/約1,690m)
トレンドと商業の中心軸となった大津通
松坂屋の移転に端を発し多くの百貨店が集中するなどで賑わった大津通。
現在でも松坂屋・三越などの老舗デパートをはじめ、
スカイル、パルコ、ラシック、ドン・キホーテなどの大型商業施設が
大津通沿いに出店しており、ファッションやグルメなどのトレンド発信地となっています。
戦後の乱開発を免れ、
都心の静域として再生した南寺町。
終戦後、名古屋の戦後復興土地区画整理事業を遂行する際に、
需要な役割を果たしたのが市街地にあった多くの寺社でした。
名古屋市は、区画整理にあたって「蔡墓分離」という方針を打ち出し、
都市部の寺社の墓地を平和公園などの郊外の墓所へ移転させ、
広い敷地を持つ寺社に幹線道路や鉄道・公園新設などの整備を行うための用地として供出を依頼。
代わりに寺社は区画整理された土地を入手し名古屋の市街地に再建されることができました。
南寺町については、景観や伝統を守りたいという地元の方々の思いが強く
元あった場所に多くの寺社が再建され、都心の静域として再び歴史を刻むことになりました。
用地開発が少なくマンション供給も希少な
上前津一丁目。
そのほとんどのエリアがかつて南寺町であった上前津一丁目。
歴史や由緒ある寺社が多くあるだけに
都心エリアにありながらも空地になること自体が少なく
マンションやビルなどの不動産開発も少ないエリアとなっています。
1945年からの調査データを見ると、中区に建設された共同住宅は、65,710戸。
その中でも大津通と伏見通の間に建設された共同住宅は、6,761戸。
その割合は中区全体のわずか10%ほどになります。