「レ・ジェイド高槻クロス」は、阪急京都線「富田」駅徒歩圏に誕生。界隈は室町時代の高僧、蓮如上人がこの地に「教行寺」を建立して以来、中世から幕末まで本願寺勢力の寺内町として栄えました。寺内町とは、仏教寺院や道場を中心に形成された自治集落のことで、応永34年(1427年)に創建され、本堂などが市の有形文化財となった「本照寺」や、明徳元年(1390年)に創建され、国の名勝に指定された「普門寺」などが、往時の面影を伝えています。
「レ・ジェイド高槻クロス」は、阪急京都線「富田」駅徒歩圏に誕生。界隈は室町時代の高僧、蓮如上人がこの地に「教行寺」を建立して以来、中世から幕末まで本願寺勢力の寺内町として栄えました。寺内町とは、仏教寺院や道場を中心に形成された自治集落のことで、応永34年(1427年)に創建され、本堂などが市の有形文化財となった「本照寺」や、明徳元年(1390年)に創建され、国の名勝に指定された「普門寺」などが、往時の面影を伝えています。
高槻市の西部に位置する富田。現在はJR線や阪急線の駅周辺を核として発展を続けていますが、江戸時代の富田は駅の南方にあった「筒井池」を囲む、約5,000軒・2,000人の大きな村でした。「筒井池」は埋め立てられましたが、もともとは「本照寺」のすぐ側まで広がっており、昭和40年代までは、池に映る美しい寺の姿が見られたそうです。江戸時代の絵図には、広々とした「筒井池」の南側に「教行寺」、西側には「本照寺」「普門寺」といった仏教寺院が建ち並んでいる様子が詳しく描かれています。
「筒井池」があった場所には現在、真ん中に道路が通り、道路を挟んで西側は「筒井池公園」、東側は「富田支所」と「公民館」に。また、酒の神様を祀る神社として信仰を集める「三輪神社」も現存しています。
富田の地名は、かつてこの地で皇室御料の屯田が営まれていたことに由来します。優良米の産地で育成された良質の酒米と、石灰層を通って湧き出る阿武山々系の清水で醸し上げられた富田酒は、池田・伊丹と並ぶ「北摂三銘酒」のひとつとして名を馳せました。富田の酒造りは江戸時代の初めに隆盛を極め、最盛期には24軒もの造り酒屋があったと伝えられています。中でも文政5年(1822年)創醸の「寿酒造」と、安政3年(1856年)創醸の「清鶴酒造」の2軒は今なお伝統を守り継ぎ、その店構えは街並みに品格と風情を醸成しています。
豊臣・徳川の世には、酒造を生業とする町衆組織が勢力を拡大。中でも紅屋清水氏には、大坂の陣の功により家康から1,800石もの酒造株が与えられました。また、富田酒は町衆文化にも浸透、芭蕉の愛弟子(芭門十哲)であり酒豪で知られた宝井其角が、こよなく愛した富田酒を詠んだ、上から読んでも下から読んでも同じ回文の句が残されています。